2011年11月9日水曜日
2011年7月29日金曜日
2011年4月22日金曜日
2011年4月12日火曜日
2011年2月22日火曜日
2011年2月16日水曜日
一人娘に残す日記
父を戦争で亡くし、母を結婚前に亡くし、兄も亡くした今、
ルーツについて聞ける人は姉だけになりました。
もっと、色々と聞いておけば良かったと、今になって後悔しています。
娘も年を取った時に同じ思いをするかも知れません。
それで、
娘が結婚する時に写真を焼き増ししてアルバムを作り、
言葉を添えて、無理に持たせましたが、
思い出せる事を書き溜めたいと思います。
お母さんの親は同じ村のご近所さんでした。
あの頃に珍しく恋愛結婚で、
父は「米屋」の息子で、当時は固い家でしたが、
集金をしたお金を、遊行費に使ってしまう、やんちゃだったそうです。
母から聞いた話では、マントを羽織った父が橋のたもとで
ヴァイオリンを弾いてくれたそうです。
その時のマントの襟についていた毛皮はお母さんが持っています。
母は 何時も化粧もせず、髪もひっつめていたので
少し手入れをすればいいのにと思っていましたが、
同じ村の人が、村小町の美人だったと教えてくれました。
後で、未亡人なので変なうわさが立たないように、
わざとこうしていたと、話してくれました。
160cmはあったかと思いますが、
当時としては嫌で、何時も背を丸めていたとも話してくれました。
ルーツについて聞ける人は姉だけになりました。
もっと、色々と聞いておけば良かったと、今になって後悔しています。
娘も年を取った時に同じ思いをするかも知れません。
それで、
娘が結婚する時に写真を焼き増ししてアルバムを作り、
言葉を添えて、無理に持たせましたが、
思い出せる事を書き溜めたいと思います。
お母さんの親は同じ村のご近所さんでした。
あの頃に珍しく恋愛結婚で、
父は「米屋」の息子で、当時は固い家でしたが、
集金をしたお金を、遊行費に使ってしまう、やんちゃだったそうです。
母から聞いた話では、マントを羽織った父が橋のたもとで
ヴァイオリンを弾いてくれたそうです。
その時のマントの襟についていた毛皮はお母さんが持っています。
母は 何時も化粧もせず、髪もひっつめていたので
少し手入れをすればいいのにと思っていましたが、
同じ村の人が、村小町の美人だったと教えてくれました。
後で、未亡人なので変なうわさが立たないように、
わざとこうしていたと、話してくれました。
160cmはあったかと思いますが、
当時としては嫌で、何時も背を丸めていたとも話してくれました。
2011年2月14日月曜日
登録:
投稿 (Atom)